もみあげ
散髪に行くともみあげがちょっと剃られたり切られたりして短くなるんだけど、またこうして髪が伸びてくると、中途半端な密度のもみあげができちゃってなんだか、なんだか、という気持ち。もう少し伸びたら気にならなくなる、と信じたい。
1ヶ月くらいサボっちゃったこのブログ「惰眠と寝不足」。結局まだ『mid90s』が観れてないけど、そっちのカルチャーに興味が出てきたので見なきゃなんない気にもなってる。と、思ったらもう京都じゃやってねえじゃん。うわ、ダメだこりゃ。『行き止まりの世界に生まれて』はまだやってるのでそっち見よう、そっち。
とはいえ最近映画を見てない、下手したら一週間くらい見ていない。そろそろ死にそうになってくる。ウウウウッ!…なんて言いながら、最近は漫画を読んでる、ゆっくりだけど。
映画も漫画もあんまり一気に見たり読んだりできない。どうしてもちょっとずつになる。そんでこないだ読んだのは松本大洋『青い春』。これは短編集で、映画化もされている。前にこのブログで紹介した松田龍平主演の『青い春』だ。漫画を読んでわかったが、映画は短編集のうちの一つ「しあわせなら手をたたこう」をベースに、他の短編のを織り混ぜつつ作られているみたい。松本大洋の漫画を読むのは何気にほとんど初めてっぽいのだけど、やっぱり絵の力がすさまじい。鮮烈というか、攻撃的で、なんというかまともではない。だからこそ、『青い春』世界の生な感覚がどストレートで俺に刺さる。共感はないが、頭を掴まれて揺らされている感覚になる。というわけで皆さんにもお勧めしておく。読め。
今回何が本題か何も考えずに書き始めたが、結局最近考えていることを書くことになる。
最近毎週一回深夜に人と電話で話している。それもまだ会ったことがない人と。
話は合ったり合わなかったりだが、なんとなく話のあいそうなところを見つけて話してくれたいる感じもする。会話の調子がそんなだからかもしれないが、僕らの会話の中で、相手から「なるほどです」「確かに、確かに」と繰り出されるとき僕は少し落ち込む。どうしても壁打ちのキャッチボールをしている気になるからだ。しかし!こんなこと思うのは相手にはとにかく失礼なことだというのも自覚している。「口癖なんだね」とは実際に言ったが、こんな口癖、俺だって吐くのだ。それに卑屈なことだ、と自分でも思う。例えばそれは、友達がいる場で「俺にゃ友達がいないのサ」と肩幅を狭めてボヤくようなもんで、くだらないがやってしまいがちなことであるし、僕なんかは実際「俺にゃ友達がいないのサ」と本気で思って暮らしているが、それを友達の前ではあまり言わないように気をつけてはいる。
僕は一つ年が上なもんで相手に軽い敬語(丁寧語)で話されるのが少しやきもきするが、相手からすれば敬語を使うほうが楽だというのに気がつくのに時間がかかってしまった。既に僕はその事実にリーチしていたはずなのに同じことを思ってしまったので少し辛い。
僕が最近限られた人としか話してないというのがあって、人と話すこと自体が楽しい。だから電話の相手とは、どう考えても実際に会うことになるはずなのだが、今のところその予定がないのでこの会話の時間にいろんな会話をしたいと思ってたくさん話してしまう。
そうしている間に新聞が家に届き鳥が鳴き太陽は昇る。だがこの時間こそが今はかなり楽しみな時間になってしまった。そうして僕の惰眠と寝不足が続く。
最近は小沢健二ばかり聞いている。この曲は詩がいいのだ。
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臆病なくせに
1,2,3
無茶をする訳は
恥ずかしがりやでシャイ
そんな自分が嫌だってこと
ね。
最近見た映画ーー『ブックスマート』を見て!
お久しぶりです。
今日はここ1ヶ月、2ヶ月で見た映画の話。
↓↓↓↓
ジョン・ヒューズ『ブレックファスト・クラブ』
オリヴィア・ワイルド『ブックスマート』(新作)
アイラ・サックス『人生は小説よりも奇なり』
……………
ざっとこんな感じ。順序は多分無茶苦茶だしあんまり関連はなかったりする。とはいえ、『ブックスマート』を見た後に『ブレックファースト・クラブ』を見たりはした。あとノーラン。
『ブックスマート』はMOVIXで見たけど、めちゃくちゃよかった。
カリフォルニアの高校生、しかもこういう言葉使うのダサいけど「ダイバーシティ」超クール!!…こういう雰囲気ってアメリカのリアルなのかしらん?(地域や学校によるだろ!というツッコミ)俺もこの高校に行きたかった!!ってくらい。
とにかくこの映画は、キャッチコピーに「最高な私たちをまだ誰も知らない」副題に「卒業前夜のパーティーデビュー」とあるように、高校生活を勉強に捧げてきた“ブックスマート”なモリーとエイミーの2人が青春を謳歌してないことに気づき、最後で取り返してやると卒業式前夜のパーティに殴り込みにいく話。基本的にはモリーとエイミーのそれぞれの恋路と周りとのやりとりが主だ。そして終盤には、2人自身やその関係性は見事に次の段階へと進んでいく。
さっき「ダイバーシティ」と書いたのは何かというと、生徒たちの「人種」とかジェンダーの割合とかのことが主で、これだけ白人男性の少ないアメリカのハイスクールものは僕は見たことがない。ラテン系もアジア系も黒人が結構登場する。また、主人公の片割れのエイミーはレズビアンだが、それらの設定はすごくナチュラルに存在している。(かなりどうでもいいが俺とエイミーの好みは近い)そしてそんなことは意識しなくなるほど、というかそういうことに埋没してしまわないくらい、キャラは個性的で全員サイコー!な良いやつというわけだ。
また、音楽もかなり良い。まず低音が効いてる。これはMOVIX京都への感想かもしれないが、ズンズン音楽にのりながら見れる映画になっている。それがこの映画のテイストとかなり合っててとても楽しい。
というわけで、この映画は友情と恋愛の話でバリバリの青春映画なんだけど、簡単にいえば2019年のものとしてかなりアップデートされてる。なんならその先を行ってるかも、特に日本じゃ。 ここにつまってるもの全てがマジで最高、とにかくみんな良い人で安心してみれるのでみんな見て欲しい。
ちなみにグレタ・ガーウィグ『レディバード』もこの映画と割と近いテイストの映画だ。なんならモリー役のビーニー・フェルドスタインは『レディバード』ではシアーシャ・ローナンの大親友を演じている。僕個人の感覚では『レディバード』の方が割とクラシックなお話だが、こちらも大好きだし、めちゃ楽しくて面白い(その上ティモシー・シャラメも出てる!)ので、おすすめの一本だ。
それと最近ノーラン映画を立て続けに見て、彼の映画の雰囲気がようやくわかってきた。撮影とか色とか、画的な話で。
『ダークナイト・ライジング』だが、俺は悪くないと思った。アンハサウェイ(キャットウーマン)周辺の描き方はかなり雑な気もしたが、ノーランのバットマン三部作を完結させるものとしてはかなり優秀ではなかろうか。
『インセプション』は『インターステラー』にも重なる作品だなあと感じる。主人公のパーソナルなこととミッション的なことがうまく重なっていく話として。
次、映画館で見るとしたら『mid90s』かなーー。
そういうわけで、今日のところはアディオス!!
人生を豊かにしようと必死野郎(POP LIFE:the podcastのはなし)
ブログを書く習慣はつけておきたいのですけど、なかなかつかないもんですね。
日々書くことがないようであるとは思うんですが、多分もっと気軽に書いた方がいいんですよね。
ところで僕はあるポッドキャストにハマっていて。
それは「POP LIFE:the podcast」というやつでspotifyで聴けるんですが、そのホストはふたり、三原勇希さんと田中宗一郎さん(通称:タナソー)。三原さんはモデルだったり音楽番組のMCなどをやられている方で、タナソーさんはrockin'onはじめ音楽系の雑誌編集からDJなどもやられている方です。ゲストは、その週によって様々ですが、雑誌編集でタナソーさんと仕事したり『小沢健二の帰還』(僕も買いました)などの本を書いたりしてる宇野維正さんとか、superorganismのoronoさんとか。
とにかくね、内容がいいんです。映画・音楽などなど、ポップカルチャーの話から社会の話に繋がっていく感じが。生まれや性など話しにくいテーマについてもかなりオープンに開かれているのが、すごく健康的で聞きやすいんです。簡単に言えば風通しがいい。年齢的にはタナソーさんが一番上になるし男だから、マンスプレイニング的だと言われることもあるみたいで、当然そういう瞬間は多少なりあると思うけど、でもそのこと自体を話題にしたりだとか、直球で物事に向き合ってる感じがやっぱり良いんですよね。
この人たちは信頼ができるし、例えですが、なんでも話せるなあと思うんですよ。
ここで自分に立ち返って考えちゃうんです。
僕にもそれくらいオープンなコミュニティあればいいのにと思うんですね。あったらどんなに楽だろうかと。
うーん、とりあえず今日はここで終わります。皆さんもPOPLIFE聞いてみてくださいね!!!
じゃあね。
八月になっちゃったよ
昨日つまり七月いっぱいまででやらないといけない動画作りがあって、
それはなんと給料が出たので、僕が初めて映像編集で金を得たということになります。
なんか嬉しい。
しかし、そのタスクのおかげで寝不足を極めボロボロになりました。んでまたちょこちょこ寝たので、今(3時)なんかに起きているのですけど。うーん、まとまった睡眠をとってないですね。とれないというより、とってない。
惰眠と寝不足、ここに極まれりといった感じです。
気づけば八月になってしまいました。時の流れを感じとることができるものは、今や天気しかありません。祇園祭なんかは宵山とか人の多い時は行ったことが無いのに、開催されないとなると寂しいもんです。それと下鴨の御手洗まつりはここ5、6年は行っているので、それが無いのはちょっとした心の空洞です。
八月に毎年行くのは同じく下鴨の納涼古本市なのですが、それも中止とのことで、僕には未来がありません。本当にどうすればいいのでしょうかね。
僕の目の前にあるのはいつもPCで、人じゃ無いことにいい加減疲れてきました。実の生活がこれで、映画を見てもなんか味気ないようにも思えます。
さあ、最近映画を見れていないです。と言おうとしたけど一昨日には『ショーン ・オブ・ザ・デッド』を見ました。面白かったですよ、馬鹿馬鹿しい感じで。
それでは。
気を抜くな!!
本当に一番よくないことは、ちょっとしたブランク。
切羽詰まった気持ちでワーーーっとなってたのが、作業が終わった時に一瞬気が抜ける。その瞬間に何かしらとのギャップを感じてしまって、僕は心がやられてしまう。
そういうことに気づいたのは最近のことだ。
すんっと気持ちが落ち込んでいくのは本当に耐えられない。それを防ぐには、やることをできないくらいのタスクを作るしかない。実際はそんなにこなせないのだけど。
ちなみに最近見た映画は『はちどり』と同監督の『The Recorder Exam』を見た。
初めてMUBIを使ったがこれはなかなか有意義かもしれない。
映画『青い春』
松田龍平主演『青い春』鑑賞。
AmazonPrimeに前からあって、結構気になってはいたのだが、なんとなく見ていなかったが、昨日の夜にようやく見た。
松田龍平演じる主役・九條はヒョロヒョロしているがここでは一番肝が座っているかもしれない。逆に新井浩文演じる青木は威勢はいいが、大変な小物である。そのほかのキャラクターたちも、というより九條以外は、みんな青臭く血の気が濃く無鉄砲である。
「ここ(学校)は天国だ」「ずっとここにいたい」などというセリフが並ぶのがすごく新鮮だった。彼らはこの生き方しか知らない。彼らにとっては、学校という狭すぎる中でのスリル・闘争に心を燃やすことだけでしか生の実感や肯定感は得られないのである。青いのだ。そしてその視界が広がることもまた難しい。
あと、ミッシェルの音楽がとてもこの映画に合っていた。攻撃的で、焦燥と危ない気持ちを掻き立てる音楽だった。
余談だがこの映画、美術関係であの岩井澤健二が関わっていた。そのことにクレジットを眺めていて気づいた。そして納得した。彼のアニメ映画『音楽』に出てくるキャラクターたちの造形と重なるところがあると感じていたのである。もちろん『音楽』ではその欲求不満-フラストレーションを音楽活動で発散することになるのだが。注記しておけば、両作ともに原作漫画があるので、全てを重ねることはできない。ただ、会話のトーンやキャラ造形には近いところがある。
↑そう思うとポスターも割と似ているような…
Windows外付け計画(そしてfacerig)
こないだ二回のブログで書いた映像作品の制作が一応終わり、大学の授業の課題や軽いバイトなどあれど、とにかく一旦落ち着いた。そういうわけで、僕は自分が主導する(というか他の人があんまり何もしてくれない)他のサークルで会議を開き、そして僕は映像付きでそこに参加した。
しかしシャイである。そこでfacerigなのだ。
facerigというのは胸から上の体の動作と顔の表情のモーションデータをwebカメラから取り込んでリンクさせ3DモデルあるいはLive2Dモデルを動かすもので、facerigは会議ツールや配信ツールにヴァーチャルカメラとして出力することができる。つまりfacerigを介して会議に参加すれば、自分の顔を晒すことなく自分の表情を伝えることができる。配信で使えばたちまち君もVtuberだ。
facerigはsteamで入手でき、それが動作するのは現状Windowsしかない。
しかし僕の持つPCはmacだった…
前置き(結構長め)
いや、わかってはいたのだ、macでfacerigが使えないことは。それは重々承知していた。それはさておき、本筋と外れるが、私がPCを購入したのは1ヶ月前のことで、それはオンライン授業からしばらく経ち、ipadでは限界を感じたためである。このことは僕にとっても予想外のことであった。
というのも半年ちょっと前に絵を書いたりレポートを書いたりする用にiPad(とApple pencil)を購入した時、これでPCを買う必要はないだろうと思っていたのだ。もちろんPCがないと越えられない問題はいくらでもあるだろうが、そもそもうちには家のPCがあるからそれですませばいいし、日常的なことはほぼiPadで完結すると考えていた。
そして実際それで完結していた。一回生後期のレポートなどは全部iPadにキーボードとつなげて終わらせたのだ。しかしコロナ禍の前にiPadは無力だった。
iPadはファイルを何個も開きながら音声を聞いて…というようなマルチタスクの作業には滅法向いていなかった。オンライン授業はオフラインのそれと違い、マルチタスクのオンパレードであったので、僕は完全に参ってしまった。
そういうわけでPCを買うことにした。
そして何故か僕はmacを買ってしまった。
理由は特にないといえばないのだが、家にwindowsしかなく、かつ将来デスクトップをwindowsにするだろうということを考慮して、多様性?を取ってここではmacにすることにした。
しかし前述したように、macを選択することによる障壁は承知していた。facerigやVRchatが使えないことは理解していたのだ。(ようやく話が戻った)
ようやく本題
そこで僕は、macでWindowsを使うことを考えた。macには公式の機能としてbootcampというのがあり、それを使えばmac本体のストレージの中にwindowsのパーティションを作ることができるようになる。しかしそれでいいじゃん!とは思えなかった。macはストレージを増やせば増やすほど割りに高くつくうえ、同じストレージ内にwindowsを入れるこのやり方では将来それが必要なくなった時にそれを消すのが結構面倒そうだと思ったからだ。
だからこそ「外付け」なのだ。
外付けSSDにwindowsをぶち込んでそれをmacbookに繋いでブートする方法。
同じことを考える人はネット上には大量にいる。パソコン音痴の僕はネットの海に潜って調べたいくつかの方法を見ながら、あれやこれやトライした。
結果的には、結局ほぼ一回で、というか一つの方法で成功した。
参考にしたのは
上記二つのサイトである。
両方とも、isoファイルを入れたUSBでとりあえずインストーラーを起動させコマンドプロンプトを開いてパーティションを手作業で作るという感じなのだが、前者の方がやたらと工程が長い。なので、面倒な僕は、後者のサイトをほぼそのままやった。しかしbootcampで用意されている「MacのデバイスをWinで動作させるためのドライバ」をあらかじめ突っ込んでおくコマンドは前者にしか載っていなかったので、それも採用した。
結果的にこれで成功したのだが、注記しておくと、キーボードやタッチパッドはインストールが終わるまで使えなかった。なので有線接続できるマウス&キーボードを使ってコマンドを打ち込んだ。マウスはそれでもスムーズには使えなかったが。
かくいうわけで私は外付けSSDでWindowsを使えるようにすることに成功した。
そして今日、そのWindowsでfacerigを起動しzoomでカメラとして認識させ、会議に参加することができた。受けはまずまずだったがこんなものは自己満足でしかないので、そんなことはまあどうだっていいだろう。