惰眠と寝不足

惰眠と寝不足を繰り返す苦学生の備忘録です

分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ

ああ、なんていい詩だろうか。

24日夜から生配信された小沢健二「キツネを追ってゆくんだよ」でオザケンが引用したフリッパーズギター「すべての言葉はさよなら」の歌詞。今の小沢健二がこの当時の歌詞を引用するようなことがあるなんて思ってなかっただけに、驚いた。

正直フリッパーズ時代の曲をあんまり聴きこんでいない(「ヘッド塔」に関してはサブスクに無いし!)のだが、それでも耳にすればすぐにピンと来た、それだけのフレーズ。そして今日の小沢さんの言う「わかりあえなくても大丈夫」に通じる。この言葉に僕は安心してしまう。

あるいは星野源の「ばらばら」に登場する「世界はひとつじゃない / 世界はひとつになれない そのままどこかにいこう」にもあるけど、分かりあえない世界の混沌をそんな風に言ってくれることが本当に救われる思いになる。

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最近の僕は何か変だ。というかコロナ禍だとかなんとかいってみんな変なんだけども、そう言うことじゃなく、自分がわからないようになってきた。

なんというか、自分が何を糧に生きてるか分からないのだ。もちろん楽しい楽しい音楽とか漫画とか映画とか、生配信だってあるしそれは僕にとって大切なことで、それがなきゃ生きていけるもんでもない。趣味以外に楽しいことがなく、そして趣味に埋没しているわけでもない。

大学に入ってから、ずっとそんな調子かもしれない。

 

こういうことを書くのは良くないと思いながら、書いてしまうが、僕には友達がいない。高校時代にはあった心安らかな時間がない(本当にあったのか?)。いや、友達がいないわけじゃないのだが、うーん、やっぱりいないような気がする。(僕の友人たち、こんなことを書いてすいません。)

僕は友人と過ごす時間を第一に生きてきた人間ではなく、1人でフラフラしてきた人間だと思っているが、それは居場所があるからできたことのような気がする。今の僕のはそんな居場所はない。インターネットもそれにあたらないだろう。ネットの方が過度にソーシャルな空間に思えて、最近はしんどいと思うことも多く、例えばハッシュタグアクティビティなんかにも嫌気がさしている(その意見がいいか悪いか関係なく)。

僕は今、二つのサークルに入って活動していて(本当は3つだがそのうちひとつは半年以上活動してない)、といきなり大学生っぽい話になって恐縮だが、二つともでかなり中心人物的な役割として動いている。これはかなりの神経を使うし疲れるが、一方で思い通りにできることもあり楽しくもある。しかしこの二つの場所について僕の居場所だと思うことができない。どうしても思えない。

それはなぜか?誰も僕のことを知らないし、僕もみんなのことをほとんど知らないからだと思う、そんな気がする。これはコロナのせいかもしれないし、いやいやいや、ほとんど僕のせいだ。

例えば気兼ねなく話せるくらいに時間を共に過ごす、なんてことがない。いってみれば中高にはそういう無駄話だけの友達が結構いたのだろう、また中高は性質上そういう機会が得やすい場でもあった。そして今後は金輪際無い、自分で会いにいかない限り。そういうことを自覚したのだった。実際は所詮その程度の話だろうなとも思う。なんてことはない、元来こういうものなのだ。

だからって諦めのつくものでもない。そういう人間だから。

 

そして友達がいないので、いつも1人で出かけて、映画を見て、飯を食う。

これが一生続くと思うと少し悲しくもなる。

だけども毎日は続くので、めげずに生きていくしかない。完璧に現実から逃れることなんてできない。だから、絶望しながらでもやるしかないのだ。

 

昨日、この半年間僕が全身全霊でやったことの成果物が発表できた。

道のりは長かった。予定よりも時間がかかったり、僕自身原稿を落としたりしたが、それはどうってこともない。僕があれだけ人と連絡しあって調整に回ってアイデアを出して、何よりエンジンとして推進させた(と、自分では思っちゃってる。当然僕だけの力でできたなんてことじゃないです。)ことを僕やるなんて思ってもなかった。そして不安だったができた。もっとできたこともあるし及第点以下のように思いながらも、でもそれは今後埋めていくほつれにしていよう。

 

とりあえず今日はこれで、アディオス