惰眠と寝不足

惰眠と寝不足を繰り返す苦学生の備忘録です

「俺も涙もろくなったもんだなあ」

昔、俺はよく泣く子だった。膝を擦りむいては、あるいはちょっとした恥ずかしさを感じては、すぐ泣いた。今じゃそんな泣きかたは滅多にない。というか皆無に近いだろう。

あの頃、映画や小説で泣くことなんてなかった。映画版ドラえもんの感動的なシーンで、とか一度もなかった。

 

だけども今、割と簡単に、変なタイミングで泣きそうになることが増えてきた。

前にも書いたかもだが、去年の3月くらいには旅行の帰りに一人になった電車で星野源の初期を聴きながらオードリー若林の本を読んでたらめちゃくちゃ泣いてしまった。

他にも、家に帰る途中に歩きながら夜空をぼうっと見て考え事してたら、すごく泣きそうになった。実際に涙が流れるまでのことは3月のことくらいしかなかったけれど、泣きそうになるようなことが増えた。

最近の俺は「何やってんだろうなあ…」とか考えて辛くなることが増えた。毎日がスカスカで、それに実感のない戦いをしてるような気分が続いている。多分今も。

これもコロナのせいかもしれないし、部分的には確実にそうだ。

 

昨日は吉本ばなな「キッチン」を読んでいた。するとまた、泣きそうになってしまった。というか我慢さえしなければ普通に泣いていただろう。自分にも何が刺さったのかはよくわからないけど、とても絶大な愛を感じてしまったのは確かだった。

 

ずっと「愛」というものや「恋愛」というのがどういうことなのか、何も知らない脳みそで考えてるが、少しずつわかってきたこともある。それは小沢健二の曲を聞きながらだったり人の話を聞きながらだったりオードリーANNを聞きながらだったりする。少しの瞬間の気づきが溜まって、こんな人間でも少しはわかるようになってきた。これは俺にとって雲を掴むような話で、何も現実味はないし妄想にすぎないのだ。でも真剣に考えまくる俺のことを捨てたもんではない、と自分でも思う。馬鹿だし、不器用だが、変な真剣さがあってよかった。

それで今は、誰かを信用したいし、信用されたい、心から。というようなことだけ思っている。小沢健二「ラブリー」の「君のハートが僕に分かるのさ」なんていうことがあると、小沢同様に信じている。(「ラブリー」は小沢のデイドリームな曲だと思っている)

 

涙もろくなったけど、それは色々わかったり、色々思ってる証拠だと思ってます、というのが結論でどうすか。今日も支離滅裂なブログですみません。