爆走2021
手紙を書くという行為を今日のショートメールと比して100mの爆走と表現してみせたのは我らが小沢健二だが、これを聞いた時妙に納得してしまった。そして「爆走してないな」と思った。手紙を書くなんていう機会は滅多にない。年賀状がそれに近いもので最も身近であるが、その機会は年に一度だ。そう思って年1だからと今年の年賀状は気合を入れて書いた。無論年賀状である、書ける分量は限られているので爆走というほどは書けていない。
十数枚書いた。ほとんどが高校の友人だった。そのうちどれほど返ってきたろうと思うととても寂しく軽く憂鬱な気持ちになることを今年になって学んだが、これも経験である。今後社会から年賀状がなくなるまで、出来るだけ年賀状くらいの爆走はしていたい。
ところで、このブログも爆走に近い。振り返らず書きたいまま書く。推敲なんてしない、とってだしの美学。このやり方が結構自分に合っている。そんな話を既に書いた。
最近、もっとちゃんとした手紙を書いても楽しそうだなという思いに駆られている。「僕らが旅に出る理由」の
それで僕は腕をふるって 君にあて返事を書いた
とても素敵な長い手紙さ なにを書いたかはナイショなのさ
といった具合に、長い手紙。そして何を書いたかは内緒。というか手紙はそういうもの。届くまでに時間がかかるからそれまで相手は中身を知らない。その上、会話に順序がない。つまりはチャットなど会話の擬似体験のような文章コミュニケーションではないのだ。だから、僕らは相手とのことを考えながら、一方的な話を綴る。その長い手紙の中には物語が生まれるような気もする。想像するだけで少しワクワクする。
手紙を書く相手なんていないのだが、手紙の内容(自分の近況や話したいこと、相手に聞きたいこと)をぼんやり考えるのは好きな子にあったら何の話をしようかウンと考える時にも似てる気がする。気が。
年明けて2021ー映画の話ー
明けましておめでとうございます。と言ってももうだいぶ過ぎましたね。
今年は2021年。例年通り何もやる気が起きませんがなんとか生きてこうと思います。
昨年は80本くらい映画を見たようなのですが、映画付きを標榜しているにも関わらずこれでもかなり多い方なのです。。。うーむ笑。
ちなみに劇場で観た映画は17本でした、あんまり多くないですね。
今年は、昨年の反省を生かし、観た映画をいちいちメモっておくことにしました。と言ってもicloudで連携されてるメモ帳に見るたびに書いていくだけです。特に感想なども書いてませんがこれでいいのでしょうか。
さてさて、2021年はまだ映画館に行っていません。コロナが怖いということ以上にバタバタしていてその暇がなかった(実際にはあるんだけどね)ことの方が大きいです。しかしまだ「ばるぼら」も「私をくいとめて」など観れていないのがたくさん。「燃ゆる女の肖像」も気になってますしね。見るべきものは多いのです。
月って明るい
夜、明かりのない道を自転車で飛ばす。スマホでフリッパーズギター「サマービューティー1990」、「ビッグ・バッド・ビンゴ」とか「午前3時のオプ」を流したりする。
明かりがないから、闇ばかり。
そして橋の下を見ると、もっと暗かったりする。少しずつ目が慣れてくる。
そんな時、夜空が明るく見える。月光を実感する。
明るさを知るなんてそうでもしないとわかるもんでもない。
なら、
幸福を知るには不幸にならなきゃね
善を知るには悪に遭わなきゃね
…ってことになる?
ってこともないか。
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そういえばオザケンが三島由紀夫のレター教室の帯で「手紙は100mの爆走」だと言っていた。僕のこのブログもそんなところがある。とりあえず書いてあんまり推敲せずに出す。そこに筋はない。書きたいことを書いて満足しちゃうので、話はバラバラになる。でも、こういう爆走はツイートより疲れるが思ったことがちゃんと書ける気がして好きだったりする。
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そういえば、こないだ『ジオラマボーイ・パノラマガール』を見た。割と評価の定まらない感じだそうだが、僕は好きだった。
彼らのゆく東京は2020(ないし2019)、いずれにせよオリンピック前の現代。撮影は2019年なので、当然コロナなんて思わせるものは何もない。現代の東京、形を変えていき、重なり、複雑に交差する。そこで何度かすれ違いながら、2人は出会う。分かりやすいボーイミーツガールだが、それを画としてちゃんと見せてくれるのがすごく嬉しかった。
人はどうやって出会うのか?
と言っても出会う時は「ドーン!」と会ってしまうのだからしょうがない。全部たまたまのこと、と言ってしまえばそれまでだ。だから会う相手が誰かなんて運命とかじゃない。いや運命と言ってもいいのだけど、特に重要なことじゃない。でも人と人が出会うということ自体は実はすごいこと。
朝起きて家を出て学校に行く/出社する。電車に乗って、もしくは自転車漕いで、街を抜けてビルを抜けて人混みを抜けて、行く。さて、毎日僕らはどれくらいの数の人とすれ違ってるのだろう。数千かな、日によっては数万かもしれない。僕らは何千の人と毎日すれ違っているのに、その人たちと「出会う」ことはない、あくまですれ違うだけだ。だからこそ出会うと言うことは奇跡に近く愛おしいことのように思えたりする。なんてことはない、出会うだけ、でもそれは天文学的数字の確率で出会うこと。そういうふうに思う。
これを僕はずっと「ねじれの位置」って呼んでいて、その画が「ラマラマ」にはあった。それが、何だかうれしかった。
分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ
ああ、なんていい詩だろうか。
24日夜から生配信された小沢健二「キツネを追ってゆくんだよ」でオザケンが引用したフリッパーズギター「すべての言葉はさよなら」の歌詞。今の小沢健二がこの当時の歌詞を引用するようなことがあるなんて思ってなかっただけに、驚いた。
正直フリッパーズ時代の曲をあんまり聴きこんでいない(「ヘッド塔」に関してはサブスクに無いし!)のだが、それでも耳にすればすぐにピンと来た、それだけのフレーズ。そして今日の小沢さんの言う「わかりあえなくても大丈夫」に通じる。この言葉に僕は安心してしまう。
あるいは星野源の「ばらばら」に登場する「世界はひとつじゃない / 世界はひとつになれない / そのままどこかにいこう」にもあるけど、分かりあえない世界の混沌をそんな風に言ってくれることが本当に救われる思いになる。
最近の僕は何か変だ。というかコロナ禍だとかなんとかいってみんな変なんだけども、そう言うことじゃなく、自分がわからないようになってきた。
なんというか、自分が何を糧に生きてるか分からないのだ。もちろん楽しい楽しい音楽とか漫画とか映画とか、生配信だってあるしそれは僕にとって大切なことで、それがなきゃ生きていけるもんでもない。趣味以外に楽しいことがなく、そして趣味に埋没しているわけでもない。
大学に入ってから、ずっとそんな調子かもしれない。
こういうことを書くのは良くないと思いながら、書いてしまうが、僕には友達がいない。高校時代にはあった心安らかな時間がない(本当にあったのか?)。いや、友達がいないわけじゃないのだが、うーん、やっぱりいないような気がする。(僕の友人たち、こんなことを書いてすいません。)
僕は友人と過ごす時間を第一に生きてきた人間ではなく、1人でフラフラしてきた人間だと思っているが、それは居場所があるからできたことのような気がする。今の僕のはそんな居場所はない。インターネットもそれにあたらないだろう。ネットの方が過度にソーシャルな空間に思えて、最近はしんどいと思うことも多く、例えばハッシュタグアクティビティなんかにも嫌気がさしている(その意見がいいか悪いか関係なく)。
僕は今、二つのサークルに入って活動していて(本当は3つだがそのうちひとつは半年以上活動してない)、といきなり大学生っぽい話になって恐縮だが、二つともでかなり中心人物的な役割として動いている。これはかなりの神経を使うし疲れるが、一方で思い通りにできることもあり楽しくもある。しかしこの二つの場所について僕の居場所だと思うことができない。どうしても思えない。
それはなぜか?誰も僕のことを知らないし、僕もみんなのことをほとんど知らないからだと思う、そんな気がする。これはコロナのせいかもしれないし、いやいやいや、ほとんど僕のせいだ。
例えば気兼ねなく話せるくらいに時間を共に過ごす、なんてことがない。いってみれば中高にはそういう無駄話だけの友達が結構いたのだろう、また中高は性質上そういう機会が得やすい場でもあった。そして今後は金輪際無い、自分で会いにいかない限り。そういうことを自覚したのだった。実際は所詮その程度の話だろうなとも思う。なんてことはない、元来こういうものなのだ。
だからって諦めのつくものでもない。そういう人間だから。
そして友達がいないので、いつも1人で出かけて、映画を見て、飯を食う。
これが一生続くと思うと少し悲しくもなる。
だけども毎日は続くので、めげずに生きていくしかない。完璧に現実から逃れることなんてできない。だから、絶望しながらでもやるしかないのだ。
昨日、この半年間僕が全身全霊でやったことの成果物が発表できた。
道のりは長かった。予定よりも時間がかかったり、僕自身原稿を落としたりしたが、それはどうってこともない。僕があれだけ人と連絡しあって調整に回ってアイデアを出して、何よりエンジンとして推進させた(と、自分では思っちゃってる。当然僕だけの力でできたなんてことじゃないです。)ことを僕やるなんて思ってもなかった。そして不安だったができた。もっとできたこともあるし及第点以下のように思いながらも、でもそれは今後埋めていくほつれにしていよう。
とりあえず今日はこれで、アディオス
締め切り
締め切りに追われています。自分の作った締め切りに殺されかけていますよ。トゥース!
うへっ
ふと、自分の下心的なものに気づく時、かなり辛い。それは無意識的だったこと、あるいは下心的であることを別な何かに言い換えていたということだからだ。
下心が悪いとか言ってるわけではない。全くそうは思わない。
だが、自分の意識についてはいつでも自覚的でありたい。
コミュニケーションブレイクダンス
人と話すことがこんなにも疲れることだったなんて!!
と、最近思う。
人と話すことというのは話すだけに留まらない。人と話す時ぼくたちは、相手の目線を伺い相手の言葉の隙を感じとりながら目を見たり見なかったりして声を発する。コミュニケーションとはこのこと。
そしてこの動作、思っていた以上に疲れてしまうということに最近気づく。今更?
しかし、これはコロナによって生まれた自粛期間の望んでもない恩恵なのかもしれない。
さて、何に疲れてしまうのだろう?疲れないコミュニケーションもあるのだろうか?などと考える。
疲れるのは、やはり気を使うからで、相手の言葉を読もうとするからだ。相手の言葉に表面以上の意味を見出したりするが、それが正しいわけではない。裏読みは単なる考え過ぎの時もある(というかその方が多いだろう)上、まったくもってくだらなく、且つ相手にも失礼な行為なようにも思える。でも、無意識にも考えてしまうのだから残念なもんだ。
それに、疲れないコミュニケーションは、ある。無いわけがない。一つは気心が知れていること。相手との仲が長いとあんまり気にせず会話ができる。僕もそうだ。関係性が出来上がっているので滅多なことを言わない限りそれが崩れることはないという安心感があり、言葉を慎重に選ぶこともない。
二つ目には相手の言葉を気にしないことがある。(※これは気心の知れた相手の話ではない。)しかし、自分の言いたいことを言うだけだったり、相手の言葉に反応するだけなら、そこまで深く考えて会話しなくてもいいい。もしくは今後もある程度ちゃんとした関係が続くような人たちでなければ、フワッとした会話でいい。
僕の場合、疲れないコミュニケーションができるのは気心が知れている時と薄い関係である時。といっても失礼な物言いにならないように気をつけたりしなくちゃならないという意識も軽くある(無い時もある)。僕にとっては基本的にコミュニケーションは疲れるものだ。
だからといって僕はコミュニケーションがしたくないとか、できるだけ人と話したくないとか言ってるわけじゃない。疲れるほどの価値はある(時もある)と信じてはいる。僕が考えていることの7割くらいは抽象的な人間関係のことなので、1人でうんうん考えるのも、コミュニケーションがなければできない。誰かと話すことで、自分の意思が明確になったりぼんやりとしたり、無意識に自覚することができる。そういうわけで貴重で価値がある。
僕は基本、人と話している時に疲れると思うことはない。話した後、帰りの電車の中とかでどっとその疲れが来る。話している時にストレスを感じる時があるなら相当なもんである。話したことで疲れ、それを振り返り、自分が嫌になってまた疲れる。
例えばこれが続くと、3日から一週間ほどドーンと淀んだ気分の日々が訪れる。そういう時の小沢健二『LIFE』は精神安定剤と化す。
精神的な負担だが、それを負うほどの価値があるか?なんていうことまで考えるつもりはない。
それは、心のどこかで「人間、コミュニケーションしてなんぼのもんじゃい!」みたいに思っているからかも知れない。