惰眠と寝不足

惰眠と寝不足を繰り返す苦学生の備忘録です

がんばりましょう

ブログを久しぶりに書きます。こういう習慣はつかなかったですね。

 

さっき公開した大昔に書いた下書きを公開したので、ついでに新しいのも書こうと思います。

 

昨年夏の終わりに一瞬でフラれた恋愛が終わって(完全にとは言わないけどおおかた僕が悪い)、半ばパニック状態で生きていたんですが、その気持ちが落ち着いてきたのが3月くらいでした。半年くらいぼーっとしてました。出来ることなら2021年全体をやり直したいと思います、俺のマルチバースはどこへ?

 

それでそのパニック期間(仮称)の間に、結構ガッツリ日向坂46にハマってしまいました。

元はといえばオードリー繋がりなんですが、今では普通にライブの配信チケットも買うし、メンバーのラジオも聞いてるし、出てる番組も割と見てます。特に齊藤京子がヒコロヒーとやってる「キョコロヒー」は好きでほぼほぼ見てます。

日向坂の好きなところは、顔も含めてみんなそんなに統一感がないのに、揃うときの幸せな雰囲気というか楽しい雰囲気とか、バラエティっぽい感じとかです。その感じがめちゃくちゃ好きかもしれない。そして、SMAPってこんな感じだった?とか思う。もちろん人数とか体制は全然違うけど、メンバーのバラバラ感とかは近いんじゃないかなあ。

 

そしてSMAPも好き。ベスト盤とJoy!!を買って、今のところ満足してるけど、Mr.Sはライブ円盤を買った方がいい気がしてる。

 

疲れたので今日はここまで。

LIFE is coming back...won't be?

このブログは投稿日から大きく遡る2021年の6月初頭に書かれたと思われるブログの下書きをいまになって公開したものです。
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さてと、何から話そうか。

前回から一ヶ月以上経つとこんな人間でも状況が変わってくる。前のを読んでるとそういうことを思う。

ブログや日記にしろ漫画にしろ曲にしろ、何かを書きつける時にはその時考えてることや思うことが反映される、と思う。そして、いつまでも同じ考えや気持ちを持ち続けていられるわけじゃない。だからこそ、作品作りは日記のように作れるときに作るしかない。

そんなことをここ一ヶ月で感じた。4月に描いた数ページの漫画はその時のスケッチとして大切な記録になった。書きつけた受け入れるしかない絶望とほんの少しの希望は、あの時の感覚でしかなくなったのだ。今の僕が同じことを言ったり描いたりすることは、自分に嘘をつくことになってしまう。

前回のブログを読み返したら、その漫画に描いた絶望感がありありと書いてあった。今の自分からすれば、何言ってんだか、という気もするが、その時の僕にとっては本気も本気だ。切実な文章だと思う。

というわけで、この一ヶ月、僕にとっては色々あった。別に何もなかったということもできるのだけど、心の中はグルグルしている。少なくとも堂々巡りを繰り返していた自分の思考は、突然にして次のフェーズに移るしかなくなったのだ。ここで具体的に書くことはしないけど、星野源新垣結衣の結婚を祝してほろよい甘夏味を飲んでいた場合ではなかったとだけ言っておこう。そしてそれは少なくとも不幸なことでは全くない、僕にとってはどこまでも幸せなことだったと思う。でも、僕含めて人は複雑だった。

 

多分読んでいる人は何のことやら分からないと思うし、僕にとってもそれでいい。

 

 

さて、そんな色々あった後、楽しみにしていた「明日のたりないふたり」を見た。若林と山里の最後の漫才。面白いんだが笑うことは少なくて、終わりの方は泣くのを堪えるように見ていた。(そしてトイレの中でめちゃめちゃ泣いた。※2022/05/05追記)

 

 

 

キャンセル!

小山田圭吾某一件について、その暴露自体は記事になった当時は生まれてすらいないが、僕にとっては常識に近く、Twitterでも小規模(いわゆる「界隈」のうち)ながら話題にあがったことは何度かあったと思う。だから、今回ここまで問題になるとは思ってもなかったので、今の現状に少し驚いている。それは僕自身が小山田圭吾がえぐいいじめをしたこととそれを後に雑誌に無反省に語ったことの罪の程度を軽く見ているとかではなく、どちらかというと僕がキャンセルカルチャーを相対化した態度をとっているからだ。

 

セクハラとか過去の差別発言とかで映画作家や音楽家、俳優などは、「キャンセル」されることがある。詳しくは調べて欲しいけど、映画監督のウディアレンやジェームズガンもその対象となって、映画公開が見送られたり監督作の続編から降板させられたり(後に復帰)している。こういうのをキャンセル・カルチャーという。#Metoo運動も、キャンセルカルチャーを含むものだった。今回小山田圭吾の辞退を求めることも「キャンセル」することに他ならない。これは当然良いこともあれば過剰なこともある、と思っている。

 

この件で、小山田圭吾を問題視する人について、三つくらいには分けられると思う。

小山田圭吾が凄惨ないじめをしていてそれを雑誌に自慢げに話していたこと

小山田圭吾が五輪の仕事を引き受けていたこと

③①のような人間が②だったこと(いじめをしたりそれについて無反省な人が平和の祭典だとされるオリパラの仕事をするということ)

 

①でコーネリアスのファンだったという人には個人的には「え?知らなかったの??」という思いになるが、客観的に見てこれを問題視することは当然で、凄惨ないじめははっきり犯罪であるしそのことを無反省に語ったことは更なる加害といえよう。

ただ、

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 ↑こういう状況は前提とされるべきだとも思う。掲載された雑誌や記者、発言の意図、「悪趣味」ブームの風潮とかを抜きにして語ることは、小山田圭吾だけの問題へと矮小化させることにもなろう。

だからと言って、そのいじめ行為は実際にあったわけで、それはいずれかの時点で断罪されるべきだったのだ。とも言える。

 

②これで失望した人も多いだろう。もちろん児玉裕一小林賢太郎のファンもおんなじ思いかもしれない。僕らは彼らのワークに期待しながらも、間違いだらけの「祭典」を見ることになる(見ないという選択肢も当然ある)。僕も軽く残念だった。

オリパラの開会式閉会式のプロジェクトには椎名林檎やケラさんもいたがみんなやめてしまった。その一件はよく知られたところだが、その後もプロジェクトは続くわけで。小山田圭吾らがどの時点でプロジェクトメンバーになったかは知らないが、残されたメンバーは「辞めるべきか?」という思いも抱えつつその仕事を進めていたかもしれず、そして少なくとも抜けた穴は多少なりとも埋めなきゃならない。そこで色んな人に声をかけただろう。断られもするだろうが結局は誰かが引き受ける仕事だ。それを小山田圭吾が引き受けたことには、ある種の同情もあるし、ああやっちまうのかというのもあるし、どうせ開催されてしまう五輪の開会式のクオリティがまだなんとかなりそうなよくわからない安堵も感じている。

 余談だが、椎名林檎とミキコと児玉裕一は多分セットでプロジェクトに入っていて、二人が辞めたことで児玉が残ってしまった形になったと思う。そうなると「なぜ児玉はやめなかったんだ!」と憤ったり悲しくなるファンもいると思うが、おそらくそう単純な話ではない。あらゆる理由でやめられないとかやめないでいたいと思う状況はそうできる。作家は、五輪がもつ政治性よりも作家としての創作を優先させるかもしれないという可能性も含めて(その選択自体が極めて政治的であるということはある)。

 

小山田圭吾は今回に限ってはもう辞退してしまった方がいいような気もするが、基本的には依頼した側が悪い。それくらいわかっておくべきだろ。

 

 

とまあこれら三つの論点は、全て分けながら語られるべきだと思うのだがどうだろう。ここら辺が未分のままツイッターで語られているのを見るとうんざりする。。

そして、小山田圭吾はこの一件で五輪開会式やその他のことからキャンセルされるのだろうか?という疑問がある。個人的には「キャンセルされるべき」とはおもわないものの今回に限ってはキャンセルされてもそれを間違いだとは言えない。という感じで、キャンセルされるか否かは、今後見守っていきたいが、この問題がキャンセルカルチャーというものと不可分の状況にあることは皆さんにも理解していてほしい。

 

 

 

小さな重大インシデント

さあて、前回のを書いてから69日が経っている。そのうちに成人してしまった。

 

今、5月

バイトを始めないといけないと思い始めて早一年が経とうとしていて

あの本読まないとやばいなと思い始めて一ヶ月くらい経っていて

修正指示があったものを放置して四時間くらい経っている。

 

…何してんだか。それに、髪を切らないとと思ってから一週間も経ってる。

 

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そんな今日も13時まで寝ていた。まさに惰眠である。

夕方にブックオフに行って美術手帖浦沢直樹特集巻と吉田貴司「やれたかも委員会」を110×2円で買った。美術手帖の方は家で見かけた気はするし「やれたかも」はもうすでに読んでるんだけども、安いと買ってしまうのが個人的にはディスイズブックオフ!という感じがする。

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「やれたかも」は俺からするとなんとなく共感することも多い。

しかし、俺には「やれたかも」すら感じたことがないので全然それ以下なのだ、とたまに気づく。

しょうもない話をすると、最近大学の人がTwitterとかツイキャスで性的同意のことについてケンケンガクガク言っていて、フンフンと思ってそんなのを読んだり聞いたりしていたのだが、そのうちに、俺の内なる小島よしおが「そんなの(俺には)関係ねえ!」と海パンで叫んでいるのが聴こえてきた。要は、童貞を拗らせてしまっているわけだ。

別にインセルとかそういうつもりでは生きてないし、社会と性愛とかそういうテーマには興味があるわけだけども、自分に引き寄せて考えると途端にひねくれまくってしまう。もちろん表面上はなんともないふりしますけど(そのつもり)。

しかししかし結局「そんなこと気にしたってしゃあない」ということで…。でもそれも、俺だって分かっているつもりで…。そして実際、まあまあどうでもいい。

それよりは、今まで彼女がいたことがないとかそっちの方が重大で、そんなこと気にしないような生き方を10代のうちに見つけておくべきだったのができなかった。だから四六時中このことについて考えていると言ってもいい。

彼女がいない=恋愛したことないというとそれだけだが、その背景には「恋愛関係に至れるような人間関係を持ち合わせていない」ということがあり、つまり巡り巡って「そもそもこれといった友達がいない(少ない)」とか「友達付き合いがない」とかそういう悩みになってくるわけで、そこに至ると事の重大さがお分かりいただけるかも知れない。自分にとっては、インキャとかそういう言葉で笑い飛ばせるような時期を越えていて、人とのコミュニケーションとはかくも難しいのかと、戦場を生きるつもりで生きている。

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僕が胸に隠すロザリオは、小沢健二サニーデイ・サービスかなあ。

「勇気を出して歩かなくちゃ!」

 

 

「友達がいない」とか言った後だが、少し友人Aの話。

半年前くらいに映画部に入ると言ってくれて、撮影手伝ったりしてくれる人がいる。最近は部室によく来るから多少話したりする。それでこないだ『街の上で』を見に行ったりした。彼女はたぶん友達が多いタイプで、本人は「だる絡み」と言っているけれども、つまりは大して仲良くないくらいの関係でも平気で話しかけていて、そしてまあまあの割合でそのまま友達になっちゃうのだ。…これが僕にもできたら、とたまに思う。

「だる絡み」概論でも開いてくれないかしらん!

 

 

僕は趣味だけでは生きられない人間だということがコロナではっきりしてきたので、いつまでも妄想ばかり膨らませててはいけないという気がしてる。どうにか遠いところに行きたいという感じだ。説明し難いが「変わらなきゃ」ということだろう。

 

この曲、必聴!

youtu.be

 

 

それでは支離滅裂な怪文をご覧いただきありがとう、俺は寝るよ。

 

どっか行きたみー

またしても深夜、ど深夜。

 

日付変わって今日(2021/03/01)は青春18きっぷの春期利用期間の初日だそうである。

要は今日から1ヶ月くらいは青春18きっぷが使えるらしい…というので、俺は妄想を膨らませ始めて午前2時だ、うーむ。笑えないが、ここで笑ってもらいたい。

実際に使ったことがないので「青春18きっぷ研究所」なるサイトを見たり、インターネットの澱に残された一般のブログ・旅行記などを見ながら、「あそこはいけるのか?」「正味何時間が限界?」とか「北陸は難関すぎる」とかやっていた。ああ楽しい。

代償としてこの時刻。

 

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去年の今頃の写真。コロナもまだまだという時期だった。

余談

無名Vtuberの配信を聞きながら、Live2D程度が扱える人が近くにいれば(もしかしたらそれすら出来なくても成立してしまう)今のVtuberオタサーの姫みたいなものを量産する(してしまう)システムなのかも知れない。それは従来のニコニコとかツイキャス配信者よりも生々しさの脱色されたものであるからこそ。とか考えてしまった。

 

寝る。

 

 

 

「俺も涙もろくなったもんだなあ」

昔、俺はよく泣く子だった。膝を擦りむいては、あるいはちょっとした恥ずかしさを感じては、すぐ泣いた。今じゃそんな泣きかたは滅多にない。というか皆無に近いだろう。

あの頃、映画や小説で泣くことなんてなかった。映画版ドラえもんの感動的なシーンで、とか一度もなかった。

 

だけども今、割と簡単に、変なタイミングで泣きそうになることが増えてきた。

前にも書いたかもだが、去年の3月くらいには旅行の帰りに一人になった電車で星野源の初期を聴きながらオードリー若林の本を読んでたらめちゃくちゃ泣いてしまった。

他にも、家に帰る途中に歩きながら夜空をぼうっと見て考え事してたら、すごく泣きそうになった。実際に涙が流れるまでのことは3月のことくらいしかなかったけれど、泣きそうになるようなことが増えた。

最近の俺は「何やってんだろうなあ…」とか考えて辛くなることが増えた。毎日がスカスカで、それに実感のない戦いをしてるような気分が続いている。多分今も。

これもコロナのせいかもしれないし、部分的には確実にそうだ。

 

昨日は吉本ばなな「キッチン」を読んでいた。するとまた、泣きそうになってしまった。というか我慢さえしなければ普通に泣いていただろう。自分にも何が刺さったのかはよくわからないけど、とても絶大な愛を感じてしまったのは確かだった。

 

ずっと「愛」というものや「恋愛」というのがどういうことなのか、何も知らない脳みそで考えてるが、少しずつわかってきたこともある。それは小沢健二の曲を聞きながらだったり人の話を聞きながらだったりオードリーANNを聞きながらだったりする。少しの瞬間の気づきが溜まって、こんな人間でも少しはわかるようになってきた。これは俺にとって雲を掴むような話で、何も現実味はないし妄想にすぎないのだ。でも真剣に考えまくる俺のことを捨てたもんではない、と自分でも思う。馬鹿だし、不器用だが、変な真剣さがあってよかった。

それで今は、誰かを信用したいし、信用されたい、心から。というようなことだけ思っている。小沢健二「ラブリー」の「君のハートが僕に分かるのさ」なんていうことがあると、小沢同様に信じている。(「ラブリー」は小沢のデイドリームな曲だと思っている)

 

涙もろくなったけど、それは色々わかったり、色々思ってる証拠だと思ってます、というのが結論でどうすか。今日も支離滅裂なブログですみません。

惰眠と寝不足の末に

最終回のようなタイトルだが、別にそういうわけではない。

 

最近の寝不足などが祟り、体調がすこぶる悪い。風邪とかそういうのでは今のところなさそうだが、今日なんて昼まで寝ていたのにも関わらず飯を食った後13時台から19時半まで寝ていた。それも余裕で寝てしまえるのだからすごい、これは惰眠にもならない。そして今1時だが、もうそろそろ眠い。あんなに寝たのに。

レポートが本当にやばいので、それをやらんといかんのだが、この体調では何にもできないのでとりあえず寝ることとする。(とか言いながら大瀧詠一の「分母分子論」や「普動説」について調べてるんだから…以下略)

なぜか今聞いているのはbill evansである。特に知らないが、Youtubeがおすすめしてきたから、何となく聞いてみてる。良い。これからは常識としてジャズなんかも聞いてみてもいいかもしれない。

 

それじゃあまた。

youtu.be